序章:英雄の静かなる孤独
ナレーション:
アストロ工業に新しい風が吹いてから、幾晩が過ぎた。
「思考継続条項」――ケニが組織に刻んだその哲学は、まだ静かに現場の隅々へ浸透している最中だった。
ケニは、夜の工場で黙々と金型の診察を続けていた。
鉄の匂いと、わずかな潤滑油の残り香。
彼の指先は、今夜も金属の表面をなぞりながら、問いかけていた。
トワ(静かに語る)
「ルールは変わった。だが、人の心はまだ変わらない。
彼の孤独を終わらせるのは、論理ではない。誰かの理解だ。」
スチール猫(手を腰に)
「にゃんにゃん、また夜勤かにゃ?ケニ殿、働きすぎて過労ストリップになっちゃうにゃ〜」
ケニ(苦笑して)
「……猫、お前な。ストリッパーは仕事させすぎると壊れるんだ。人間も同じだな。」
Scene 1:潜む影と、金型の悲鳴
ナレーション:
その夜、工場の片隅でひとりの男がケニを見つめていた。
――技術部長。
彼は声をかける勇気もなく、遠くから金型診察の様子を見ている。
金型は、順送型の第3工程。
絞りと曲げの間に、不規則なバラツキとカス発生があった。
表面には、摩耗痕。そして微かな材料のめくれ跡。
佐倉(若手技術者、ノートを片手に)
「ケニさん……この型、図面では完璧ですよね?でも、職人さんはいつも原因不明の不具合で悩んでたって。」
ケニ
「ああ。原因は、図面通りに動かない金型構造だ。」
Scene 2:ストリッパーの裏切り ― 傲慢の可視化と設計の苦しみ
ナレーション:
照明の白がストリッパーの面で砕ける。摩耗の筋、押し当て跡、散ったカスの線。
ケニがルーペを差し出した瞬間、技術部長の目に技術者の闘志が戻る。
技術部長(一歩踏み出し、低く)
「――待て、ケニ。君は図面の傲慢と言うが、設計の苦しさは知っているのか?
設備の受け寸は決まっている。型サイズも、工程数も、コストとタクトに縛られている。
順送で収めろ、工程は増やすな、歩留まりは上げろ。それが現実だ。
限られた枠の中で、ストリッパーに役割を背負わせるのは、苦渋の合理化でもある。
理想だけでは現場は回らん。君の正論は――現実から浮いてないか?」
スチール猫(ひょいと手を挙げて)
「にゃ?合理化って、合理に化けるって書くにゃ?(※書かない)」
トワ(鋭く)
「猫、座れ。――だが、部長の反論は正当だ。設計は制約芸だ。
問題は、制約のための設計が、現場の恒常的な手直しを前提にしていないか、だ。」
ケニ(静かに、刺すように)
「部長、理解しています。工程数も、受け寸も、タクトも。
ただ――今も尚、現場は直せていません。
慢性的な手直しで莫大な工数を失い、品質の揺れを許容し、
それでも“出しているだけ”。それを設計として放置していいのか?」
技術部長(食い下がる)
「理屈は分かる。だが、分割工程にすれば金型費は跳ね上がる。
ストリッパー載せにしたのは、工程内で収める最適解だ。
多少のばらつきは、現場の調整で飲み込む前提――それが量産設計の現実だ。」
ケニ(一切ぶれず)
「多少ではありません。
この型は、毎ロットで角度が揺れ、近傍の抜きで散乱カスが発生し、
バーリングの座屈まで出る。職人の手直し日報、見ましたよね。
月間で120時間以上、ここに吸われている。
その安い合理化は、裏で高くつく。それでも、技術でしょうか?」
トワ(低く)
「節約の体で未来をツケ払いする――それを技術とは呼ばない。」
スチール猫(ノートに走り書き)
「今日の名言:合理化の領収書は現場に届く……っと。」
ケニ(ストリッパー面を指し示す)
「見てください。
ここに曲げコマ、リストライク、刻印、バーリング受け――全部ストリッパー。
押さえ面は下死点直前まで浮き、傾き、抜きと干渉する。
剥がしの部品に、押さえと姿勢制御と加工補助を背負わせた。
結果、タイミング不整合+押え不足+側圧の逃げ場なし――
それが、散乱カスと曲げ角度の漂いの真因です。」
技術部長(歯を食いしばる)
「……それでも、図面上は成立している!」
ケニ(静かに頷く)
「図面は静的に成立している。
でも、荷重下では動的に破綻している。
図面の正しさと、現実の正しさは、別の次元にあります。」
ナレーション:
会議室では語れなかった「設計の苦しさ」と「現場の苦しさ」が、
金属の面上でぶつかり合い、しずかに火花を散らした。
Scene 3:功労の崩壊か、責任の昇華か ― その選択(改訂版)
佐倉(恐る恐る)
「部長……今のやり方は、安い初期費を取りに行って、量産の高い維持費で払い続けてる構造です。
結果、現場の人と品質が擦り減ってます。このままでいいわけが――」
技術部長(遮って、なおも抵抗)
「――分かっている!分かっているさ……。
だが、お前たちに設計の現実がどこまで分かる!工程を増やせば客先原価は跳ねる、
納期も飛ぶ、設備も足りない!
今つくれる形に押し込む痛みを、俺たちは受けてきた!」
トワ(静かに斬る)
「ならば問う。
押し込む痛みの伝票を、誰が支払っている?」
スチール猫(手を挙げて)
「はーい、現場のお財布ですにゃ。あと品質の信用ポイント通帳が目減り中にゃ。」
ケニ(一歩近づき、真芯)
「部長。あなたの痛みは分かる。
だからこそ、痛みの送り先を現場にしないでほしい。
設計として放置してよいか――その問いです。
修正案はあります。」
技術部長(眉を上げる)
「……提案を、聞こう。」
ケニ
「三点、工程は増やさずに現実に寄せる案です。
1)ストリッパーの役割を剥がし+押えに限定、曲げ・リストライク・刻印・バーリング受けをパンチプレート側へ再配置(最小改造)。
2)押え姿勢の安定化:ガイドの面支持化と当たり幅の帯域化で、傾きの自由度を機構で封じる。
3)タイミング修正:近接の抜きは有効刃長を最短(例:板厚0.8に対し0.5mm)まで詰め、絞り・曲げの動きが収束してから刃を入れる。
――工程数は増えない。だが、設計としての責任は取り戻せる。」
技術部長(沈黙。やがて、ゆっくりと)
「……0.5mm。
時間を距離に畳み込むか……(小さく息を吐く)
……なるほど。
ストリッパーは剥がしに戻し、姿勢は機構で担保、タイミングは最短化で逃がす――
設計で現場の手直し前提を外すということだな。」
ケニ
「はい。現場で直るではなく、設計で直すに戻す、です。」
佐倉(熱っぽく)
「部長。初期の安さではなく、量産の総合の安さで勝ちたいです。
アストロの看板は、調整のうまさではなく、設計と現場が噛み合った再現性のうまさであるべきです。」
ナレーション:
技術部長の喉が上下した。
抵抗は、理屈を尽くして戦った末の残り火へと変わり――
やがて、その火は別の熱に変わった。
技術部長(きっぱり)
「……分かった。
ストリッパーの裏切りを、裏切りではなく告発として受け止める。
設計標準を改訂する。
ストリッパーの仕事は剥がしと押えに限定、
近接加工は姿勢とタイミングを設計側で規定――
現場の恒常手直しを前提にしない。
私の30年は、この改訂の土台にする。」
トワ(満足げに)
「抵抗して、なお進む。――それが、技術者の矜持だ。」
スチール猫(親指を立て)
「合理化の領収書、設計部が清算したにゃ。男前だにゃ、部長!」
ケニ(一礼)
「ありがとうございます。これで現場の工数は、未来へ戻せます。」
追記(章末掲示・改訂文例)
アストロ設計哲学追補 02 — 「ストリッパーの裏切り」条(改訂)
1)ストリッパーの機能は剥がし+押えに限定。加工機能の過載せを禁ず。
2)姿勢は機構で担保(面支持・当たり幅帯域化)。手直し前提の設計を禁ず。
3)近接抜きは動きの収束後に当てる(有効刃最短化※例:t0.8⇒0.5)。
4)初期費ではなく総合最適で判断する(恒常工数と品質揺れをコストに算入)。
上記に5)を追加したい項目は、どうしてもストリッパーで行いたい場合には材料の挙動と加工タイミングを考慮すること。
Scene 4:昇華 ― 魂の玉成
ナレーション:
沈黙のあと、技術部長は深く息をついた。
その目には、敗北ではなく、覚悟が宿っていた。
技術部長
「……ケニ。このストリッパーの裏切りを、設計標準に入れよう。
荷重配分、押さえ圧の帯域、下死点での動的解析――
これを、新しい設計哲学として未来へ残す。
私の30年は、その土台だ。」
ケニ(静かに頷く)
「ありがとうございます、部長。
俺たちは、静的設計を否定するんじゃない。
その上に、動的現実を重ねるだけです。」
佐倉(ノートを掲げて)
「魂の玉成……それは、ストリッパーだけじゃない。
人間も、まだ成形途中なんですね。」
トワ
「ほう、うまいこと言う。だが加工条件は厳しいぞ。」
スチール猫(跳ねながら)
「なら、俺がバリ取りにゃ!全部ピカピカにしてやるにゃ〜!」
終章:静かなる再出発
ナレーション:
翌朝。
アストロ工業の会議室に、新しい掲示が出た。
アストロ設計哲学 — 「ストリッパーの裏切り」基本条項(初版)
- ストリッパーに仕事をさせすぎるな。
- 図面は静的理想、現場は動的現実。
- 職人の調整は不具合の修正ではなく、設計の声である。
ケニは、掲示を見上げながら微笑んだ。
その横で、佐倉がまっすぐ立っていた。
技術部長は静かに一礼し、工場へ向かう。
トワ(低く)
「ストリッパーの裏切り――それは、金属の悲鳴であり、人の傲慢の鏡だ。
だが、聴ける者がいれば、裏切りは真実になる。」
スチール猫
「つまりにゃ、裏切りは愛の裏返しってことにゃ!今日も現場、熱いにゃ〜」
次回予告
第8話:潰れるべき時に潰れない ― 材料の抵抗と摩擦の法則
金型が動く。材料が裏切る。
だが、その抵抗の中にこそ創造がある。
現象を否定せず、受け入れる者だけが、真の解析者となる。