—アストロ工業・順送型の現場ルポ(キャラ入り)—
ナレーション:
工場の朝はうるさくないけど、鉄と油の匂いがする。アストロ工業・精密プレス課。
今日もSUS304-2B t0.3のコイルが順送ラインの横で待っていた。
これからつくるのは“目立アラサプライズ社”向けの家電用ステンレスカバー。
実物は別の家電メーカーのドラム洗濯機のヒーターカバーだが、その名前はここでは出さない――という大人の事情つきである。
第一幕 「500個に1個の亡霊」
スチール猫「よーし! 本日も目立アラサプライズ様ご注文のひみつのステンレスカバーちゃんをお届けにまいりました〜!」
ケニ「お前は毎回CMみたいに始めるな。ライン始動ってだけだ」
ナレーション:
ラインは動き始めている。材料は順送で7工程を抜けていく。
問題は、ここでときどきだけ出る打痕つきのやつだ。最初は500個に1個。少ない。だがゼロじゃない。
生産部長(三羽ガラス)「ケニ君、また1枚出たって」
ケニ「またって言わないでください。500に1個なので」
トワ「ケニ。500に1個というのは、量産すれば毎日見るという意味ですよ」
ケニ「……お前のそういうとこ、現場が凹むんだよ」
現場オペレーター「前からこうっスよ、この型。最初から500に1個は出てました」
スチール猫「出た!現場三大まじないのひとつ『前からこう』!」
ケニ「笑うとこじゃねえ」
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この金型は中国製で、受注から1か月で仕上げろという無茶ぶりで作られた。
日本側はゴールデンウィークをはさんでいたから、実質もっと短い。
キャリアは薄くて弱く、送りで引っかかることもあった。つまり「出て当然の種」は最初から入っていた。
第二幕 「7つのΦ5、でも犯人がいない」
ナレーション:
問題の部品にはΦ5の穴が7か所ある。位置も構造も似ている。
ところがどれかひとつがときどきカスを噛んだような打痕を残す。
……でも、毎回同じ穴じゃない。
ケニ「なあ、これ。どの穴が悪いって言い切れるやついるか?」
現場オペレーター「いやあ…日によって違うっす。手前のときもあるし、奥のときも…」
佐倉 航「ケニさん、今日は内側の4つのどれかですけど、昨日は外周側でしたよね。…ってことは、特定はできないってことですよね」
ケニ「そうだ。だから7か所とも条件が揃えば上がるって見るしかなかった」
トワ「構造が1か所だけ特殊というパターンではありません。これは現象を起こせる状態の穴が7つあるパターンです」
ケニ「お前、俺が言うこと先に言うなっての」
ナレーション:
ここがこの案件の一番やっかいなところだった。
特定できる異常箇所がない。だから現場は「前からこう」で流した。
でも技術的には「なぜ7つとも起きる可能性があるのか」を説明しないと終われない。
第三幕 「ありきたり4兄弟を全部疑って、全部“主犯じゃない”にした」
ナレーション:
カス上がりの議論をすると、だいたい最初に出てくる4つがある。
加工油、負圧、刃先ダレ、残留磁気――この4兄弟だ。
トワ「はい、まず4つ並べます。
①加工油の粘性付着
②パンチとカスの負圧による吸い上がり
③パンチ刃先の摩耗・サビ
④残留磁気
……今回はどれも弱いです」
技術部長(三羽ガラス)「そんな一気に切り捨てるなよ」
トワ「切り捨ててはいません。助長要因としては残します。ただし主犯ではない。なぜなら――」
ケニ「この金型、パンチの先端に穴が開いてて、抜いてるときにエアが出るんだよ。止めて確認したけど、ちゃんと風は出てる。0.3のSUSなんてすぐ飛ぶだろ、普通は」
トワ「そういうことです。パンチにくっついたまま上がるは最初に潰れていた、ということになります」
スチール猫「先生〜。じゃあ犯人は……空気だったのです…!ってやつでしょ!」
ケニ「惜しいけどお前が言うとマンガになるんだよ」
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この時点で、普通の工場なら「油を減らす」「磁気を抜く」で終わる。
でも今回は数千個に1個という出方で、しかも7か所すべてに起き得る。
つまり、もう一段階、上の「現象の組み合わせ」を見に行く必要があった。
第四幕 「ダイ刃先を2mmにしたら静かになった。……一時的には」
ケニ「俺が最初に手を打ったのはここだ。ダイの刃先を4mm→2mmに短くした」
佐倉 航「ダイの中で長く留めないように、ですね?」
ケニ「そう。SUS304は鉄みたいにダイの側面にネチッとくっつかない。クリアランスがちょい大きいと、拘束がさらに弱い。だったら早くニガシテーパに行かせて、上からのエアでスコッと落とす。そういう狙いだ」
トワ「これは実際に効きました。いったんカス上がりは姿を消した」
ナレーション:
しかし、7,000個つくったところでまた9個出た。
つまり、この対策は「この現象の一部には効いたが、根絶には届かなかった」ことを示していた。
スチール猫「一度は別れたのにまた会っちゃった元カノみたいなやつですね」
ケニ「例えが気持ち悪いんだよ」
第五幕 「口にしたくないけど言わなきゃ説明できない上に持ち上げる力」
ナレーション:
ここでケニは少し言いにくくなった。
というのも、プレス業界のほとんどは「空気の流れでスクラップが上に行く」という言い方をしないからだ。
言った瞬間に「それ実験あんの?」と言われる。
だからこの場では、トワに任せた。
トワ「では私から説明します。
プレスが下死点で閉じているとき、型内の空気は動きません。
そこから上型――ストリッパーを含む上側――が上がると、型内に一気に空気が入り込みます。
このとき、上面近くの空気は速く、下のほうは遅い。ここで流速差が生まれます。
流速差が生じると、軽いものが上に持ち上がる揚力的な状態が起きることがあります」
ケニ「おい、ベイヌーイって言うなよ。俺はそれは言ってねえからな」
トワ「言ってません。揚力的な状態と言いました。
実際にスクラップの挙動を撮って、こういうことが起こり得ると主張している人もいます。アプト技研の大島氏ですね。なので根拠ゼロの思いつきではありません。
ただし、業界ではあまり言われていないので、ブログに書くときは断定はできないが、このように説明するしかなかったと書くといいでしょう」
技術部長「空気を犯人にされると誰も反論できないからなあ…」
トワ「だからひとつのモデルとします。
今回のポイントは、
- パンチからは離れている
- ダイの中にも残っていない
- 下からはね上がるルートも塞がっている
それでも上にいた
→ ならその時だけ上に持ち上げる力があったと考えるしかない、という順番です」
スチール猫「なるほど。つまりカスもたまには飛びたいってことですね」
ケニ「最後に台無しにするな」
ナレーション:
ケニ自身もこれは言いたくなかったところだ。
だが、現象としてはこうとしか説明がつかない。
だから「俺の見立てではこうなってる」として出すことにした。
第六幕 「もっと現実的な犯人――エアの枝の枝」
ナレーション:
空気の話はふわっとしている。
しかしこの案件には、もっとつかめる犯人がいた。
それが「エアの引き回し」だった。
ケニ「空気の話の前にな。そもそもこの型、パンチからのエアが全部同じ強さで出てなかったんだよ」
佐倉 航「配管ですか?」
ケニ「そう。型の中にエアの溝が彫ってあって、途中で分かれて、さらに分かれて、ってなってる。で、2か所だけ枝の枝の枝になってた」
トワ「エアは近いところから先に流れ、まっすぐなところを好む性質があります。
なので図面上は全穴に出るになっていても、実動ではここはほとんど出てないが起きる。
今回はそのほとんど出てない2か所があって、しかも外部ホースがΦ6で流量が足りていなかった」
ケニ「だから、上からのエアでスクラップを剥がす力より、型が開いたときのふわっと持ち上がる力のほうが勝っちゃったんだよ。そこだけな」
スチール猫「つまり、二軍ルートに流された空気は弱かった…ってことですね。空気界のヒエラルキーこわい」
ケニ「お前の言い回しはたまに的確なんだよな…」
ナレーション:
ここは現場でもすぐに手を入れられるところだった。
ケニはすぐに外部エアホースをΦ6 → Φ10に拡大して流量を上げた。
さらに、ダイの「まっすぐ上に通れる」ニガシテーパニゲをカドニゲ(段付き)やフクロニゲに変更して、空気であげられるときにカスがこの角に引っ掛かるようにした。
配管の長さとコーナー数もそろえるようにした。
ケニ「ここまでやって、やっとよし、これでだいぶ静かになるだろって思ったよ」
佐倉 航「でもまた1個出ちゃったんですよね」
ケニ「お前はなんでそう一番痛いとこ突いてくるんだ」
トワ「でもそれでいいんです。これは複数の小さな要因が、たまたま同時に揃ったときにだけ起きる現象です。だからゼロにするは難しい。けどなぜ起き得るかはここまでで説明できました」
第七幕 「思考停止システムと3つの部門」
ナレーション:
この案件は、技術的には面白い。
だが同時に「なぜこんなものが量産にそのまま上がってきたのか」という組織的な問題も含んでいた。
品質部長(三羽ガラス)「つまり、これって立ち上げのときから出てたってこと?」
ケニ「そうです。最初から出てたと思う。500に1個くらいで。オペレーターが外してた。で、誰も『これは型の不具合です』って上げなかった」
生産部長「中国で作って日本に移管するパターンだと、そこまでは見えないんだよな。向こうでは寸法と外観でOKが出てるから、こっちはOKのはずで受け取る。量産で問題なく使えるかなんて誰も検証していない。その視点での検討もないんだ。」
トワ「仕組み上の問題です。
製品の寸法が出ているか
外観が規格内か
までは見た。
でも500個に1個だけ出る現象があるかは見る設計になっていなかった。
だから現場が前からこうで流しても、誰も止められなかった」
ケニ「だから俺は書くんだよ。
これは思考を止めてたら一生見つからないカス上がりだって。
油だー磁気だーで終わらせたら、また別ロットで出る」
現場オペレーター「すんません…。でも、流せるレベルだったんで……」
ケニ「いや、お前だけのせいじゃねえ。そこまで見る仕組みになってなかったんだよ」
ナレーション:
このやり取りは、たぶんどこのプレス屋でもある。
だからこそ今回は「現象を分けて見たらこうだった」という記録を残す意味があった。
第八幕 「佐倉、火がつく」
佐倉 航「ケニさん。今日のやつ、ブログにするんですよね? 目立アラ・サプライズのHカバーって」
ケニ「する。実名は出さない。家電用の薄板カバーって言う。SUS304-2B t0.3、Φ5が7か所ってのは出す。あそこは技術の肝だからな」
佐倉 航「あの、空気で上がるってところも書きます?」
ケニ「書く。けど書き方はこうだ。
この現象は業界ではほとんど語られていない。根拠もまだ少ない。だが今回のような『パンチから離れているのに、数千個に1回だけ上がっている』事象を説明するには、このように考えるしかなかった。アプト技研・大島氏も似た実験を報告している。参考として紹介するってな」
佐倉 航「……かっこいいっすね」
ケニ「かっこよくはないよ。現場で見えちゃったから書くだけだ」
スチール猫「出ました本日の魂ある技術者語録!
『誰も言ってないけど、見えてるから書いた』
※ただし空気は見えません」
ケニ「最後の一文いらねえよ」
第九幕 「スチール猫の乱暴なまとめ」
ナレーション:
夕方、ラインはまだ動いている。
だがスチール猫はホワイトボードに勝手にまとめを書き始めた。
スチール猫「本日のまとめでーす!
- スチール猫「パンチ犯人は今回は主役じゃなかった」
- スチール猫「エアの枝の枝が弱いと負ける」
- スチール猫「テーパニゲは空気の味方」
- スチール猫「前からこうはだいたい黒」
- スチール猫「ケニは神じゃない。だから面白い」
以上!」
トワ「4と5が特に重要ですね」
ケニ「5は重要じゃねえ」
品質部長「でも神じゃない技術者がいたから、ここまで分解できたんだよな」
生産部長「そうそう。神ってるやつは、そもそもブログ書かないからね」
エピローグ 「これは終わりじゃなく“こう考えた”記録」
ナレーション:
その夜、ケニはブログのエディタを開いた。
タイトルはこうした。
目立アラ・サプライズ社向け 薄板ステンレスカバーで起きた浮くカスの話
― エア配管の枝とテーパニゲと、誰も言ってない揚力モデル ―
本文の冒頭には一文を添える。
ケニ「※ここで紹介する空気の流れでスクラップが上に持ち上がる現象は、業界ではあまり語られていない。ただし今回のような低頻度の打痕を説明するためにはこのモデルを採用せざるをえなかった。アプト技研・大島氏の実験にも同様の挙動が報告されている。参考として紹介する。」
トワ「いいですね。これなら根拠なしで言ってるにはならないです」
スチール猫「think猫翔、今回もいい仕事したな…(自分で言うスタイル)」
ケニ「自分で言うな。だがありがとうな」
ナレーション:
こうして、数千個に1個しか出ない見えないカス上がりは、
空気の流れ・エアの枝・ダイのニゲ・材料が浮くタイミング・そして思考停止していた組織
という複数の要素で説明されることになった。
これは完全解決しましたの話ではない。
こう考えたらやっと筋が通ったという、技術者の途中経過の記録である。
そして、その途中経過こそが、次に同じ目にあう誰かを救う。

