第8話:潰れるべき時に潰れない ― 材料の抵抗と贖罪の法則

経験談

序章:沈黙するアルミ

ナレーション
7000系 Al-Zn-Mg-Cu 合金、サスペンション部品。
4.0mmの板を、2.0mmまで均一に潰す。要求公差 ±0.02。
だが、現実はいつも仕様書の外にいる。

順送の外周仮抜き後、潰しへ。
寸法が出ない。端は良くても、中心から離れるほど厚くなる。
ロットが変わるたび、板厚は揺れた。最大0.5㎜。
手直しプレス、再プレス、手直しの手直し。
アルミは潰すたび硬くなり、現場の心まで硬くした。

Scene 1:再び、思考停止会議

生産部長
「また寸法バラツキだと? これじゃ計画が立たん。
順送後の再プレスで合わせればいい。見込みで。」

品証部長
「ISOに基づく手順は明確だ。現場判断での型調整は禁止。
まずは規格内製品を選別して納入しなさい。」

技術部長
「金型剛性に問題はない。
機械の押し圧能力が不足しているか、油量の管理が甘いんだ。
30ショットに1回の塗布ルールを守っているのか?」

ケニ(静かに)
「…はい。守ってます。だが――問題は別にあります。」

Scene 2:ケニの失敗

ナレーション
ケニは自らの心の奥に、ひとつの傷を知っている。
潰し寸法が出ない時、彼は、見込み値で調整するインサートを作った。
形状に傾斜をつけ、厚みが太く出る側を意図的に強く潰す。
一見、理屈は通る。だが――

それは原理の否定だった。
材料の動きを「補正」でごまかし」、原因に向き合わなかった。

スチール猫
「つまり、ケニ殿が見込みインサート教の教祖だったって話かにゃ?」

ケニ
「やかましい。…俺だってわかってる。
見込みで寸法を追うってのは、技術者の逃げだ。
再現性も立ち上げ性も悪くなる。だが、当時はそうするしかなかった。」

トワ
「暫定策は、延命。原理を無視した見込み値は、思考の止血に過ぎない。」

Scene 3:圧力と摩擦 — 二つの敵

ケニ(ホワイトボードに図を書く)
「潰し加工の基本は、圧力と摩擦力のせめぎ合いだ。
圧力を掛けなければ潰れない。当たり前だ。
だが同時に、摩擦力が大きければ――材料は動けない。」

スチール猫
「圧すと潰れる。でも潰すと止まる。矛と盾が同居にゃ。」

ケニ
「その止まりを作ってるのが金型の面粗度だ。
見た目は磨いてるが、まだ荒い。
高圧下ではその微細な凸凹がカギ爪になる。
材料は動こうとしても、表面で噛みつかれる。
つまり潰れるべき時に潰れない。」

トワ
「まるで、人間のプライドのようだな。
柔らかくすれば流れるものを、粗さが抵抗に変える。」

ケニ
「その通り。
だから、潰しの世界では、押すより滑らせるが勝つ。
解決策は3つだ。」

Scene 4:潰し三原則 ― 滑らせるために

一、面を極める(超鏡面化)

ケニ
「金型の面を触って滑るレベルにする。
Raで0.01台。金属同士が接する前にすれ違うような面だ。
粗さを一桁落とせば、摩擦は一桁落ちる。
潰しは鏡の戦いになる。」

スチール猫
「磨き屋の鏡にゃ。お前ら、鏡餅でも磨けそうにゃ。」

二、仲良くさせない(親和性を断つ)

ケニ
「次に、型材。
圧力と熱で金属同士が仲良くなるのを防ぐため、
アルミと親和性の少ない材質――たとえばWC超硬やTiN系コーティングを選ぶ。
金属の恋を未然に防ぐことが、潰しの忠義だ。」

トワ
「なるほど。恋愛禁止の職場規則、か。物理的だが理に適う。」

三、息を切らせない(潤滑の再現性)

ケニ
「三つ目、油。
30ショットに1回の手塗りじゃ話にならん。
1個目と30個目で油膜は別物。
だから自動塗布+浸透性重視の油に変える。
油切れが出ないよう、局所ミストで微量連続供給
空気の汚れ対策は局所排気でやる。
潰しの世界に乾いた瞬間は存在してはいけない。」

スチール猫
「乾いた瞬間、心が擦れるにゃ。人間も同じだにゃ。」

Scene 5:三羽ガラス、再び

生産部長
「ケニ君、それじゃ工程が増える。生産性が落ちる。再塗布なんて非現実だ。」

品証部長
「変更は承認が要る。ISO上、ルール外の塗布方式はリスクだ。」

ケニ(黙してノートに式を書く)
「Raを1/10にすれば摩擦係数μは1/3。
圧力を一定に保てば、流動距離は3倍伸びる。
つまり、厚み差±0.02は面で解ける。
これはルールより、法則だ。」

トワ
「法則に逆らうルールは、無法だ。」

スチール猫
「ルールにゃんて、潰せばええにゃん。」

ケニ
「……猫が一番、反抗的だな。」

Scene 6:技術部長の贖罪の一石

技術部長(立ち上がる)
「黙れ! 
生産数だのISOだの、そんな言葉で現場の真理を潰すな。
私は過去、金型の剛性を信じて現場を責めた。
だが今、わかった。問題は剛性でも精度でもない。
我々の粗さが、材料の自然を止めていたのだ。
ケニの解析を、組織の正式解析として進める。必要な機材も承認する。」

スチール猫
「部長、今日はカッコいいにゃ。摩擦ゼロの発言にゃ。」

トワ
「人間も磨けば、滑らかになる。今夜の名言だ。」

Scene 7:試作と再生

ナレーション
超鏡面+超硬材+局所ミスト。
潰し部の肌は銀の湖面のように光を返す。
ロット違いも、油膜制御で吸収。
厚みマップは、外周〜中央にわたって帯状に揃い始めた。

佐倉
「厚み分布、安定しました! ±0.02以内、全域クリアです!」

ケニ
「これが見込みなしの潰しだ。
肉は導けば動く。押せば止まる。

技術部長
「剛性ではなく、優しさだったのだな……。」

スチール猫
「愛で潰せ、にゃん。」

トワ
「それは誤解を生む表現だ。やめておけ。」

終章:抗わず、導く

ケニ
「潰しは押すんじゃない。導くんだ。
材料は意思を持たない。だが、もし持っていたらこう言うだろう。
行きたい方向に行かせてくれと。」

技術部長
「私たちは、ようやく材料の言葉を聞いたのかもしれん。」

スチール猫
「つまり猫の手も借りたい状況は終わったにゃ?」

トワ
「いや、次は猫の手で磨く番だ。」

ナレーション
アストロ工業、潰し公差±0.02㎜。
力ではなく、知恵と誠実で到達した値。
押すことをやめ、導くことを覚えた者たち。
摩擦は減り、心の面粗度もまた、静かに整っていった――。