Scene 1:現実的な聖域 ―コンタミ防止エアブロー&バキューム装置」
ナレーション:
社長の発想は大胆だった。プレス設備一式をビニールで囲い、空気そのものを遮断してしまえ――。
だが、ケニは首を横に振った。材料はフィーダーを通り、金型に入る瞬間にこそ、微細な金属片や粉塵を拾う。装置全体を覆っても、入口の一呼吸で台無しになる。
ケニ:「やるならここだ。材料が金型に入る刹那を制す。」
こうして生まれたのが「コンタミ防止エアブロー&バキューム装置」。
それはビニールハウスではない。フィーダー出口〜金型入口の局所に据えた、吹いて即吸う二段構えだ。
- 小型化:金型の干渉を避け、段取り時の手元の視界と工具アクセスを殺さないサイズ。40㎜
- 吸着防止:薄板SUS430 t0.2mmが負圧で持ち上がらないよう、吸引口の開口・距離・流量を微調整。ウレタンローラー2個を外側に配置、必要負圧は確保しつつワークは吸わない。
- 取付け:フィーダー側はクイックブラケットでワンタッチ着脱。金型側は固定治具+微調整スロットで角度・距離を再現可能化。
- 動作:対向エアブロー(上下)→直近で局所バキューム。吹いた空気に乗ったコンタミを、そのまま隣口で吸いとる。
スチール猫:「吹いて吸って、まるで工場版鼻うがいだにゃ!」
トワ:「比喩は雑だが、設計は精密だ。要は入口でゼロにする思想だな。」
ケニ:「ここが戦場だ。全体を飾るより、入口一寸を守る。」
Scene 2:型内の真犯人を一つずつ潰す
ナレーション:
局所環境を整えただけでは終わらない。型内にはまだ真犯人が潜んでいる。ケニは部位別・原因別に、一つずつ潰していった。
2-1 トリム工程の突起 ― 『善意の悪玉』を撤去
トリム中心部のスクラップ拘束のために設けた突起。
狙いはカス上がり対策だったが、実際は突起でスクラップを擦り、太いカスを発生させていた。
- 対策:突起は廃止。
- 代替機構:下型にエア供給。ダイ内部へ空気を通し、ベンチュリ効果で局所負圧をつくる。切断瞬間にカスを引き込む吸うトリムへ。
トワ:「力で挟むから摩擦になる。流体で運ぶから消える。理にかなってる。」
2-2 パイロットの食いつき ― 薄板特有の“前滑り”
薄板0.2mmは、押さえが効く前に引かれて動く。
そのせいでパイロット穴が一度変形し、戻る際に強擦してカスが落ちる。
- 従来:パイロットピンを穴に挿入して位置決め。
- 課題:挿入・抜去のたびに食いつき/こすりが発生。
- 改良:角度45度先端フローティングピンでダレ面穴縁を押し込む方式へ。
- ピンは穴の中に入らないので食いつきゼロ。
- ピン先の角度とバネ定数を最適化し、中心位置を面圧で確定。
スチール猫:「穴をなぞるだけで位置が決まる……まるで精密ダンスにゃ!」
ケニ:「踊るな、合わせろ。面でな。」
2-3 剥がしピンの痕 ― 長すぎ・固すぎ問題
各工程の製品剥がしピンが長すぎて、押痕が肥大。
バネ定数のバラつきや内部の滑りで点痕が強調される。
- 対策:ピン長を最短化し、バネ定数を総見直し。
- 樹脂化:エジェクターピン痕対策として、金属→樹脂ピンに置換。
- 微調整:バネ座面の摩擦低減で応答性を揃え、痕の再発を抑制。
2-4 曲げ角度の開き ― R曲げの宿命を機構でねじ伏せる
根元に大Rを持つR曲げは、角度が出にくい。既設型には角度調整機構が無く、後工程リストライクは均一化不能&キズ量産。
- 対策:下型側にバックアップを追加。
- 曲げ完了の1.5mm手前でパンチ・ヒール部が効き、パンチを内側へ僅かに寄せる。
- 曲げの最終位相で角度を押し決める。
- 結果:角度の均一化と後工程レスを同時達成。
2-5 パンチ ― 形状・研磨・被膜の総やり直し
外注パンチはワイヤ面・研磨面の荒れが残存。鏡面化の足を引っ張った。
- 工程:
- 既存CrN薄膜は剥離。
- 超超鏡面磨き(線目ゼロまで)→ダイヤペースト再磨き。
- 被膜再選定:Ti系へ変更(SUSとの親和を避け、カジリ抑制)。
- 形状再設計:
- シゴキ長さ=板厚×4=0.8mmに短縮。
- シゴキ端は大R連結。
- 肩R突き量は現行維持(形状転写は崩さない)。
- 効果:離型時の引きずり変形を抑制、刃先近傍のカジリ・被膜剥離を解消。
2-6 自動給油 ― 油をそこにだけ届ける
外部から自動給油。ストリッパ側に油溜まり溝を設け、パンチの出し入れで油を自己給脂。
- 油路:バッキングプレートに細溝を掘り、幹部まで確実に供給。
- 狙い:必要部位にだけ潤滑を集中し、付着粉塵の母床は増やさない。
2-7 なお残る吊り上がり ― シゴキパンチのR部で発生する剥離不良
パイロット方式による吊り上がりは、45度フローティングピンで解決した。
しかし依然として、R曲げ部のシゴキパンチにおいて微小な吊り上がりが発生していた。
原因は明白だった。
R曲げでパンチのR部がワークを突いているため、離型時にワークがうまく剥がれず、食いつきと変形が起きる。
つまり、ノックアウトピンがシゴキ面からR分だけ離れており、ワークを十分に押し離せず、シゴキ摩擦に引きずられる構造的欠点である。
対策として、
- パンチ表面のTi系コーティングを再磨きし、より平滑な鏡面へ改修。
- 局部給油の粘度を上げ、R部での油膜保持性を向上。
- 同部のみ給油量を増やすことで、摩擦抵抗と剥離抵抗を同時に低減。
結果、吊り上がりは大幅に減少。
ただし、変形兆候の監視を継続しており、今後も経時的挙動の確認が必要である。
トワ:「突くより、離す方が難しい。それがRの哲学か。」
ケニ:「摩擦を断つのは、力じゃなく滑らかさだ。」
Scene 3:通路・排出・そして空気の後始末
ナレーション:
入口でゼロ/型内の原因潰しに続き、出口での傷も消す。
- 製品シュート:プラダン(プラ段ボール)を適所に貼り、線キズゼロ。製品は中央へ落下する受け構造。
- 静電気・残留磁気:発生源を接地・除電と脱磁で潰す。
- 表面粗度の嵌まり:粗い研磨面への微粒子嵌合やファンデルワールス力による付着を想定、鏡面維持+局所ブローで離脱。
- 将来提案:最終的にはドライ加工の選択肢を視野。油の粘着母床を断ち、付着そのものを生まれさせないプロセス設計へ。
スチール猫:「入口ゼロ、型内ゼロ、出口ゼロ……ゼロ三箇条にゃ!」
ケニ:「いいから、そのゼロを記録に残す。再現性を、言葉じゃなく手順で出す。」
Scene 4:それでも襲ってくる基準の上書き
ナレーション:
成果は出た。実物は美しかった。
だが、返ってきたのは――基準のさらなる上書きだった。
閉(へい):「お客様、さらに表面均一性の向上を……」
ケニ:「さらにの定義と、最初の合意との差分を書面にして持って来い。」
閉(へい):「えっ……」
ケニ:「無傷が悪いって言ってない。どこまでを無傷と呼ぶか、最初に決めたよな。
それを途中で動かすなら、約束の再締結が必要だ。現場は気分じゃ動かない。」
品証部長(うなずく):「合意の最新版を版管理する。判定写真、照明条件、倍率、観察範囲……全部、当然価格も、再定義だ。」
トワ:「宗教をやめて、科学に戻るということだ。」
スチール猫:「信仰は教会で。品質は現場で、にゃ!」
閉(へい)(サンプルを手に取ると、にやりと笑った。)
「いやぁ、今回のモノは良いですよ。僕は好きです。お客様も、きっと……」
その日の夕方、電話が鳴る。
「ケニさん? お客様、ダメって言ってます。このキズ、何とかしてください。前より厳しく見られてます」
ケニ:「さっき良いと言ったな?」
閉(へい):「え? ええ、個人的には……ただ、お客様のご要望が……」
ケニ:「個人の感想はいらん。最初の合意と差分を示せ。どこが、何ルクスで、何倍率で確認して、どの範囲か」
閉(へい):「……ですから、お客様が」
ケニ:「お客様を盾にするな。約束を守る覚悟を持って来い。」
会議室に沈黙が落ちた。
三羽ガラスでさえ、閉の声色の変化に気づいた。
彼はいつも、評価が上がれば俺の功績、
苦情が来れば、お客様のせいと手のひらを返す。
ナレーション:
この日を境に、社内の空気は変わった。
閉の言葉は、そのままでは通らない。
彼のメールは全部ログ化され、
要求の出典・照明条件・倍率・採点者まで、証跡を添付しないと決裁に乗らなくなった。
「営業の声は拾う。だが手のひらは、もう見ない。」
そう記された一枚の運用ルールが、静かに彼を干していく。
Scene 5:最終トライ ― 数字と筋の両立
ナレーション:
局所バキューム装置は量産レイアウトに組み込まれ、
突起廃止+ベンチュリ吸引、フローティングパイロット、自動給油+鏡面パンチ(Ti系)、
バックアップ機構、プラダンシュート――
全てが手順書と写真で固められた。
佐倉航:「判定画像、基準照明、倍率、すべて前回合意の通り。追加要求分はオプションとして明示。」
生産部長:「タクトは維持。段取り時間は+αだが、歩留まりは確実に上がる。」
品証部長:「微細キズは観察条件Aで不検出。B条件では微小反射があるが、合意の無視範囲だ。」
ケニ(静かに):「うん、合意の範囲で勝ったな。」
サンプル出荷。
合格。追記は「オプション希望」。
基準は動かなかった―それが勝利だった。
残ったのは、傷ではなく「糧」だった
ナレーション:
そもそもアストロ工業は、キズ無し加工を看板にしてきた会社ではない。
プレスは微細な打痕・擦れが付き物―それが業界の常識だった。
とりわけSUS430薄板・鏡面材では、微小痕は避けられないとされ、
キズゼロ要求は逆ベクトルと見られてきた。
それでも正面から受け、入口(局所ブロー&バキューム)/型内(突起廃止・ベンチュリ吸引・フローティングパイロット・バックアップ角度決め・鏡面Ti被膜・自動給油)/出口(プラダンシュート・除電・粗度対策)を手順化した結果――
副作用はあった。段取りは増える。設計も工数がかさむ。
だが、その代わりに手に入れたものは大きい。
- スキルアップ:微小域の流体設計・表面現象・被膜選定の再現ノウハウが積み上がった。
- 新ノウハウ:フローティング面圧位置決めや微細カス排出ノウハウなど、武器が増えた。
- 文化:要求を感情で語らず、条件と証跡で詰める文化が根づいた。
- 自信:業界の常識は破れる―現場の背骨が一段太くなった。
ケニ:「キズ無しは理想じゃない。選べる手段になった。
これで、次の難物にも方程式を持って挑める。」
Scene 6:エピローグ ― 無傷の再定義
閉(へい):「正直、ここまでやるとは……」
ケニ:「やるよ。最初に約束したならな。
ただし、途中で上書きはしない。するなら合意のやり直しだ。」
閉(へい):「……理解しました。」
スチール猫(小声):「閉さん、名前、今日だけ開(かい)にしとく?」
トワ:「たまに開く扉も良いものだ。」
ケニ(苦笑):「じゃあ次は、約束を守る扉を常開にしてくれ。」
ナレーション:
ケニたちは知った。
無傷が悪いのではない。
最初の取り決めを軽く扱うことが、現場を壊す。
無傷とは、表面の話だけではない。
互いが責任を守るという関係の無傷でもある。
だからアストロ工業は、今日も磨く。
金属と、約束の両方を。
