第10話 理想の残響 無傷を命じた男たち(後編)

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Scene 1:現実的な聖域 ―コンタミ防止エアブロー&バキューム装置」

ナレーション
社長の発想は大胆だった。プレス設備一式をビニールで囲い、空気そのものを遮断してしまえ――。
だが、ケニは首を横に振った。材料はフィーダーを通り、金型に入る瞬間にこそ、微細な金属片や粉塵を拾う。装置全体を覆っても、入口の一呼吸で台無しになる。

ケニ:「やるならここだ。材料が金型に入る刹那を制す。」

こうして生まれたのが「コンタミ防止エアブロー&バキューム装置」。
それはビニールハウスではない。フィーダー出口〜金型入口の局所に据えた、吹いて即吸う二段構えだ。

  • 小型化:金型の干渉を避け、段取り時の手元の視界と工具アクセスを殺さないサイズ。40㎜
  • 吸着防止薄板SUS430 t0.2mmが負圧で持ち上がらないよう、吸引口の開口・距離・流量を微調整。ウレタンローラー2個を外側に配置、必要負圧は確保しつつワークは吸わない。
  • 取付け:フィーダー側はクイックブラケットでワンタッチ着脱。金型側は固定治具+微調整スロットで角度・距離を再現可能化。
  • 動作対向エアブロー(上下)→直近で局所バキューム。吹いた空気に乗ったコンタミを、そのまま隣口で吸いとる。

スチール猫:「吹いて吸って、まるで工場版鼻うがいだにゃ!」
トワ:「比喩は雑だが、設計は精密だ。要は入口でゼロにする思想だな。」

ケニ:「ここが戦場だ。全体を飾るより、入口一寸を守る。」

Scene 2:型内の真犯人を一つずつ潰す

ナレーション
局所環境を整えただけでは終わらない。型内にはまだ真犯人が潜んでいる。ケニは部位別・原因別に、一つずつ潰していった。

2-1 トリム工程の突起 ― 『善意の悪玉』を撤去

トリム中心部のスクラップ拘束のために設けた突起
狙いはカス上がり対策だったが、実際は突起でスクラップを擦り、太いカスを発生させていた。

  • 対策:突起は廃止
  • 代替機構:下型にエア供給。ダイ内部へ空気を通し、ベンチュリ効果で局所負圧をつくる。切断瞬間にカスを引き込む吸うトリムへ。

トワ:「力で挟むから摩擦になる。流体で運ぶから消える。理にかなってる。」

2-2 パイロットの食いつき ― 薄板特有の“前滑り”

薄板0.2mmは、押さえが効く前に引かれて動く
そのせいでパイロット穴が一度変形し、戻る際に強擦してカスが落ちる。

  • 従来:パイロットピンを穴に挿入して位置決め
  • 課題:挿入・抜去のたびに食いつき/こすりが発生。
  • 改良角度45度先端フローティングピンでダレ面穴縁を押し込む方式へ。
    • ピンは穴の中に入らないので食いつきゼロ。
    • ピン先の角度とバネ定数を最適化し、中心位置を面圧で確定

スチール猫:「穴をなぞるだけで位置が決まる……まるで精密ダンスにゃ!」
ケニ:「踊るな、合わせろ。面でな。」

2-3 剥がしピンの痕 ― 長すぎ・固すぎ問題

各工程の製品剥がしピン長すぎて、押痕が肥大
バネ定数のバラつきや内部の滑りで点痕が強調される。

  • 対策ピン長を最短化し、バネ定数を総見直し
  • 樹脂化:エジェクターピン痕対策として、金属→樹脂ピンに置換。
  • 微調整:バネ座面の摩擦低減で応答性を揃え、痕の再発を抑制

2-4 曲げ角度の開き ― R曲げの宿命を機構でねじ伏せる

根元に大Rを持つR曲げは、角度が出にくい。既設型には角度調整機構が無く、後工程リストライク均一化不能&キズ量産

  • 対策:下型側にバックアップを追加。
    • 曲げ完了の1.5mm手前パンチ・ヒール部が効き、パンチを内側へ僅かに寄せる
    • 曲げの最終位相で角度を押し決める。
  • 結果:角度の均一化後工程レスを同時達成。

2-5 パンチ ― 形状・研磨・被膜の総やり直し

外注パンチはワイヤ面・研磨面の荒れが残存。鏡面化の足を引っ張った。

  • 工程
    1. 既存CrN薄膜剥離
    2. 超超鏡面磨き(線目ゼロまで)→ダイヤペースト再磨き
    3. 被膜再選定Ti系へ変更(SUSとの親和を避け、カジリ抑制)。
    4. 形状再設計
      • シゴキ長さ=板厚×4=0.8mmに短縮。
      • シゴキ端は大R連結
      • 肩R突き量は現行維持(形状転写は崩さない)。
  • 効果:離型時の引きずり変形を抑制、刃先近傍のカジリ・被膜剥離を解消。

2-6 自動給油 ― 油をそこにだけ届ける

外部から自動給油。ストリッパ側に油溜まり溝を設け、パンチの出し入れで油を自己給脂

  • 油路バッキングプレートに細溝を掘り、幹部まで確実に供給。
  • 狙い:必要部位にだけ潤滑を集中し、付着粉塵の母床は増やさない。

2-7 なお残る吊り上がり ― シゴキパンチのR部で発生する剥離不良

パイロット方式による吊り上がりは、45度フローティングピンで解決した。
しかし依然として、R曲げ部のシゴキパンチにおいて微小な吊り上がりが発生していた。

原因は明白だった。
R曲げでパンチのR部がワークを突いているため、離型時にワークがうまく剥がれず、食いつきと変形が起きる。
つまり、ノックアウトピンがシゴキ面からR分だけ離れており、ワークを十分に押し離せず、シゴキ摩擦に引きずられる構造的欠点である。

対策として、

  • パンチ表面のTi系コーティングを再磨きし、より平滑な鏡面へ改修
  • 局部給油の粘度を上げ、R部での油膜保持性を向上。
  • 同部のみ給油量を増やすことで、摩擦抵抗と剥離抵抗を同時に低減。

結果、吊り上がりは大幅に減少。
ただし、変形兆候の監視を継続しており、今後も経時的挙動の確認が必要である。

トワ:「突くより、離す方が難しい。それがRの哲学か。」
ケニ:「摩擦を断つのは、力じゃなく滑らかさだ。」

Scene 3:通路・排出・そして空気の後始末

ナレーション
入口でゼロ/型内の原因潰しに続き、出口での傷も消す。

  • 製品シュートプラダン(プラ段ボール)を適所に貼り、線キズゼロ。製品は中央へ落下する受け構造。
  • 静電気・残留磁気:発生源を接地・除電脱磁で潰す。
  • 表面粗度の嵌まり:粗い研磨面への微粒子嵌合ファンデルワールス力による付着を想定、鏡面維持局所ブローで離脱。
  • 将来提案:最終的にはドライ加工の選択肢を視野。油の粘着母床を断ち、付着そのものを生まれさせないプロセス設計へ。

スチール猫:「入口ゼロ、型内ゼロ、出口ゼロ……ゼロ三箇条にゃ!」
ケニ:「いいから、そのゼロを記録に残す。再現性を、言葉じゃなく手順で出す。」

Scene 4:それでも襲ってくる基準の上書き

ナレーション
成果は出た。実物は美しかった
だが、返ってきたのは――基準のさらなる上書きだった。

閉(へい):「お客様、さらに表面均一性の向上を……」
ケニ:「さらにの定義と、最初の合意との差分を書面にして持って来い。」
閉(へい):「えっ……」
ケニ:「無傷が悪いって言ってない。どこまでを無傷と呼ぶか、最初に決めたよな。
それを途中で動かすなら、約束の再締結が必要だ。現場は気分じゃ動かない。」

品証部長(うなずく):「合意の最新版を版管理する。判定写真、照明条件、倍率、観察範囲……全部、当然価格も、再定義だ。」
トワ:「宗教をやめて、科学に戻るということだ。」
スチール猫:「信仰は教会で。品質は現場で、にゃ!」

閉(へい)(サンプルを手に取ると、にやりと笑った。)
「いやぁ、今回のモノは良いですよ。僕は好きです。お客様も、きっと……
その日の夕方、電話が鳴る。
「ケニさん? お客様、ダメって言ってます。このキズ、何とかしてください。前より厳しく見られてます」

ケニ:「さっき良いと言ったな?」
へい):「え? ええ、個人的には……ただ、お客様のご要望が……」
ケニ:「個人の感想はいらん。最初の合意差分を示せ。どこが、何ルクスで、何倍率で確認して、どの範囲か」
閉(へい):「……ですから、お客様が
ケニ:「お客様をにするな。約束を守る覚悟を持って来い。」

会議室に沈黙が落ちた。
三羽ガラスでさえ、閉の声色の変化に気づいた。
彼はいつも、評価が上がれば俺の功績
苦情が来れば、お客様のせいと手のひらを返す。

ナレーション
この日を境に、社内の空気は変わった。
閉の言葉は、そのままでは通らない
彼のメールは全部ログ化され、
要求の出典・照明条件・倍率・採点者まで、証跡を添付しないと決裁に乗らなくなった。
「営業の声は拾う。だが手のひらは、もう見ない。」
そう記された一枚の運用ルールが、静かに彼を干していく。

Scene 5:最終トライ ― 数字と筋の両立

ナレーション
局所バキューム装置は量産レイアウトに組み込まれ、
突起廃止+ベンチュリ吸引フローティングパイロット自動給油+鏡面パンチ(Ti系)
バックアップ機構プラダンシュート――
全てが手順書と写真で固められた。

佐倉航:「判定画像、基準照明、倍率、すべて前回合意の通り。追加要求分はオプションとして明示。」
生産部長:「タクトは維持。段取り時間は+αだが、歩留まりは確実に上がる。」
品証部長:「微細キズは観察条件Aで不検出。B条件では微小反射があるが、合意の無視範囲だ。」
ケニ(静かに):「うん、合意の範囲で勝ったな。」

サンプル出荷。
合格。追記は「オプション希望」。
基準は動かなかった―それが勝利だった。

残ったのは、傷ではなく「糧」だった

ナレーション
そもそもアストロ工業は、キズ無し加工を看板にしてきた会社ではない
プレスは微細な打痕・擦れが付き物―それが業界の常識だった。
とりわけSUS430薄板・鏡面材では、微小痕は避けられないとされ、
キズゼロ要求は逆ベクトルと見られてきた。

それでも正面から受け、入口(局所ブロー&バキューム)/型内(突起廃止・ベンチュリ吸引・フローティングパイロット・バックアップ角度決め・鏡面Ti被膜・自動給油)/出口(プラダンシュート・除電・粗度対策)を手順化した結果――
副作用はあった。段取りは増える。設計も工数がかさむ。
だが、その代わりに手に入れたものは大きい。

  • スキルアップ:微小域の流体設計表面現象被膜選定の再現ノウハウが積み上がった。
  • 新ノウハウフローティング面圧位置決め微細カス排出ノウハウなど、武器が増えた。
  • 文化:要求を感情で語らず、条件と証跡で詰める文化が根づいた。
  • 自信業界の常識は破れる―現場の背骨が一段太くなった。

ケニ:「キズ無しは理想じゃない。選べる手段になった。
これで、次の難物にも方程式を持って挑める。」

Scene 6:エピローグ ― 無傷の再定義

閉(へい):「正直、ここまでやるとは……」
ケニ:「やるよ。最初に約束したならな。
ただし、途中で上書きはしない。するなら合意のやり直しだ。」
閉(へい):「……理解しました。」

スチール猫(小声):「閉さん、名前、今日だけ開(かい)にしとく?」
トワ:「たまに開く扉も良いものだ。」
ケニ(苦笑):「じゃあ次は、約束を守る扉を常開にしてくれ。」

ナレーション
ケニたちは知った。
無傷が悪いのではない。
最初の取り決めを軽く扱うことが、現場を壊す。

無傷とは、表面の話だけではない。
互いが責任を守るという関係の無傷でもある。
だからアストロ工業は、今日も磨く。
金属と、約束の両方を。